2017年04月29日

映画: 怒り

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灼熱の夏の日、東京・八王子市で凄惨な殺人事件が起きた。
犯人はその家の妻を絞殺した後、蒸し風呂状態の家の中で一時間待ち、帰宅した夫を包丁で刺して殺害した。
血だまりを指に塗り付けて書かれた、大きな「怒」の文字が壁に残されていた。
指紋や遺留品から、警察は山神一也という男を容疑者として全国に指名手配したが、山神は逃亡し、事件から一年経ってもまだ行方は知れなかった。


千葉、沖縄、東京。
それぞれの土地の人々の生活に、素性の知れない三人の男がするりと入り込み、親しい交流関係をつくりあげつつあった。

千葉の漁港で寡黙に働く田代(松山ケンイチ)。
沖縄の離島でバックパッカー生活を謳歌している田中(森山未來)
無職で陰のある同性愛者、直人(綾野剛)

いずれの男も、年恰好、容貌など、指名手配の犯人となんらかの類似点があった。
それに加えて身元不詳であることから、男たちの周囲の人間は信じたい気持ちと、どうしようもなくこみあげる疑いのはざまで苦しむようになる。

田代には、頭は少し弱いが明るく純粋な愛子(宮崎あおい)、そして彼女の父親(渡辺謙)。
田中には、好意を寄せてくれる少女・泉(広瀬すず)と、その友人・辰哉(佐久本宝)。
直人には、華やかで自信に満ちた恋人、優馬(妻夫木聡)。

信じるのか。疑うのか。

三つの土地に住まう人々の思惑を交差させながら、ストーリーは進んでいく---。

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以下、ネタバレします。


DVDで鑑賞しました。
「フラガール」、「悪人」の李相日監督作品なので、見ごたえのある映画なんだろうなとは思っていましたが、予備知識入れるのは好きじゃないので、ストーリーは全く知りませんでした。

いやーとにかく演技が素晴らしかった!

李監督は演技指導が厳しいことで有名とのことですが、もともとが実力派ぞろいで華もある役者陣の演技は文句なしに素晴らしいの一言でした。

まず、千葉編では、三十路なのに二十二歳の女の子になりきった宮崎あおい。
終始すっぴん顔、しかも役作りのために7kg増量したという女優魂がすごい。
「人とちょっと違う」愛子の幼さ、もろさ、優しさを、透明感のある宮崎あおいが演じたのは正解だったと思います。中の人が成熟しているからこその説得力がありました。
そして松山ケンイチの目つきが時々怪しく、む、こいつが犯人かと思わせるミスリードもあるのですが、そんなことより「お弁当毎日つくってあげよっか?」と提案する愛子に、「いいの?」と訊いたあの表情にやられましたよ。可愛すぎて。
ある事情のせいで転々と住まいや仕事を変えてきて警戒心の塊のような田代が、愛子の開けっ放しな好意に反射的に抱く猜疑心、戸惑い、そして嬉しさを、「いいの?」の顔だけで表現してみせる松ケン、いつもながら匠の技です。


東京編では、なんといっても妻夫木聡に目を奪われました。
一流企業勤務のエグゼクティブなゲイ役なのですが、ゲイじゃなくたって見惚れるほどのよき男です。
おしゃれヒゲ、シャツのボタンの外し方、適度に鍛えられた肉体、ゲイコミュニティの中でもリア充に属するシャイニーゲイとしての自然な演技は、リアルゲイの方にも大好評だったようです。もともとすこぶる可愛い顔なので、男臭さが加わると無敵ですね。
綾野剛もはかなげでよかったです。
持ち帰りのコンビニ弁当が歩いてるうちに斜めになっちゃって、何度も直すところにツボりました。たぶんこの映画のなかで最も共感できたシーンでしたww
2人の濡れ場はかなり濃厚なので苦手な方はご注意。腐女子ならおいしい映画です。


沖縄編は・・観なきゃよかったと後悔するほどの衝撃展開でした。
広瀬すず演じる泉が米兵に襲われるシーンは奇妙な臨場感に満ち、自分も足を震わせてその場に隠れていると錯覚するほどに恐ろしいものでした。
泉に想いを寄せる辰哉を演じるのは、無名の佐久本宝。
最初はなんでこんな顔の子が、と思ったけれど、島の少年にしか見えない素朴さがあってナイスキャスティングです。

森山未來はさすがの怪演でしたが・・・なぜ森山未來が犯人役だったのでしょうか。
あの手の顔の人が犯人て、ひねりがなさすぎませんか。
こう思うのは私だけなのかどうなのかよくわからないけれど、@松山ケンイチ、A綾野剛、➂森山未來と並べれば、そりゃ犯人は森山未來になるでしょうよという・・。

ものすごく怪しい登場 → あれ? なんかめっちゃいい人じゃん → やっぱりアブないヤツだったー!!

という役は、逆に松ケンがやってもよかったんじゃないですかね?

でもまあ、もしも松ケンが犯人役だったら、私は間違いなく彼に感情移入してしまうだろうし、最初から最後まで沖縄編だけで一本の映画を見たいと願ってしまうことでしょう。
それほどまでに凶悪犯・山神の人物像に興味を掻き立てられてしまう危険性が高い。

山神(=田中)は、信頼を裏切られて憤った少年によって、沖縄の地で刺殺されました。
沖縄は美しい海に囲まれた観光地であるとともに、第二次世界大戦時も、米軍基地問題を抱える今も、日本政府によってスケープゴートにされ続け、根深い絶望と怒りを抱え込まされている土地です。

犯行現場、そして隠れ住んでいた離島の洞窟に山神が書いた「怒」の文字は、弱者のプライドを涼しい顔で踏み躙っていく何かに対する激昂の表現であり、彼は泉の身に降りかかった暴力に対してもおそらく心の底から憤っていました。

「俺は沖縄の味方になるとか偉そうなことは言えないけど、お前の味方にならなれる」

泉を助けられなかった自分の弱さを責める辰哉にそう告げた言葉は、決して嘘ではなかったと思います。
彼には、確かに弱者に寄り添うやさしさの持ち合わせがありました。
けれどその一方で、

「米兵にヤラれてる女を見た。知ってる女だった。女気絶。ウケる。」

島の岩に残酷な殴り書きをした山神も、また山神の一部でした。

「どっかのオヤジがポリース、ポリースって叫んで、それで終了だよ。逃げねえで最後までやれよ、あのクソアメ公! 根性がねえんだよ!」

無力な少女への凌辱行為を肯定する言葉を吐く理由は、山神自身が見知らぬ人間を殺害するという凶行を完遂したからに他なりません。
暴力の根源は、自尊を踏みにじられた怒りです。
誰かを痛めつけなくては自分の形が保てないほどに、傷つけられてきたからです。人生の途中からは、それが本人の思い込みや妄想である場合がほとんどであっても。

人に同情されることを何よりも忌み嫌う山神は、泉を弱者として憐みそうになる自分の一部が反吐が出るほど憎く、理不尽な力を行使する側にどうしても自分を置かなくてはならなかったのだろうと推察しますが、原作も読んでいませんので、作者の意図に近いのか、的外れなのかはわかりません。

ともあれ、森山未來の起用は過剰な感情移入をさせないという意味では成功です。
この映画の焦点は、犯人を含む三人の男の感情や人格の掘り下げに当てられることはなく、あくまでも周囲の人間の揺れ動く「信」と「疑」に主眼が置かれているからです。

笑顔
流れてくる目線
ぽつりとかけてくれた言葉
指先のやさしさ、抱き合う腕
かけがえのない出会い。
けれど、好意や愛といったものは、どれほど丁寧に育んでも、たった一つの綻びで不可逆に、永遠に失われてしまうことがある。

目の前のその人を信じてあげられなかったこと。その結末。
信じてはいけない人を信じてしまったこと。その結末。

それぞれのエピソードだけで一本の映画が作れそうなほど濃厚な、三つの土地の人間模様は並行して語られますが、並行するだけであって接点はありません。

もしほんの少しでも絡みがあれば(犯人が沖縄で殺害されたニュースを渡辺謙が目にした、とかその程度でも)、「繋がる」カタルシスがあったんじゃないかと思います。
三つの人間関係があるなら、三つ用意した意味を提示してほしかった・・と思ってしまうのは贅沢な要求でしょうか?

とはいえ、映画は素晴らしいテンポで進行していくので、少しも飽きることなく最後まで引き込まれて見てしまいました。
千葉で語られている音声が東京の映像に重なったり、同じ場所における現在と過去を交互に映写したりと、お年寄りや子供が見たら混乱するしかない編集技法なのですが、非常に効率的ですね。

千葉編を除けば、ほぼ救いようのない結末なのに、私には不思議とざらついた感覚は残りませんでした。
彼らの、これからの人生の幸を祈らずにはいられません。
特に優馬くん!(泣)

「二度と見たくない名作」と評する人もいるそうなので、心が弱っているときには避けたほうが無難かもですし、誰にでも勧められる映画ではないけれど、良質な作品でした。

posted by KIKI歌野 at 19:39| Comment(0) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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